2015年 02月 23日
小笠原父島 板長さん戦跡ツアーに参加した
小笠原父島の最終日、おがさわら丸出港までの午前中に小笠原父島の板長さんの戦跡ツアーに参加しました。
板長さんは九州出身で、小笠原に移住し、板長をされていたそうですが、昔から独自に夜明山周辺の戦跡を発掘し、旧日本軍の方や防衛省から情報を得て戦跡ツアーを始められたと聞きました。
WWII時は飛行場のあった硫黄島に近いということもあって戦略的に重要であったので要塞化されていました。そもそもは父島に司令部を置く予定だったようですが、アメリカ軍が飛行場適地である硫黄島を重要視すると判断し、栗林中将も硫黄島に移動したようです。
硫黄島はアメリカ軍が1945年2月―3月までの激戦を制し、占領しました。
それで父島はというと、爆撃は受けたようですが、硫黄島のように米軍の上陸はなかった。
板長さんによれば、栗林中将は父島に来てから(着任1944年5月)、大砲の配置を地下壕に移設し、敵から見えないようにすることを指示し、地下トンネルを掘る部隊を本土から一万人近く呼んだそうです(兵隊には地下壕は作れないから鉱山での労働者を送り込ませたと聞きました)。
硫黄島に移動してからも要塞化を進め、これまでのように水際で食い止める方法ではなく、要塞化した地下壕の中でできるだけ長期戦、ゲリラ戦に持ち込む戦法とし、米軍を苦しめたことは映画などでも知られているかと思います。
硫黄島の戦いは死傷者数で米軍が日本軍を上回った数少ない戦いでもあります。
また、板長さんに教えてもらったことに第41代米国大統領ジョージ・ブッシュさんの撃墜の話があります。
ブッシュさんは、アベンジャー乗りだったそうですが、父島は要塞化されているので高度を落とすなと命令されていたのに高度を下げ、対空砲火によって撃墜されたそうです。場所は夜明山の東、東島方面と聞きました。
撃墜時脱出したブッシュさんは見方潜水艦に救助され、その後政治家となったそうです。
小笠原では当時、小笠原事件で明るみに出たカニバリズムがあったので、ジョージ・ブッシュも潜水艦に助けれれてなければ、犠牲になっていた可能性が高く、本人もそう思っていたようです。
これは発電設備を設置していた地下壕と聞きました。
硫黄島からの通信を傍受し、大本営に報告していたそうです。
重要な施設であったので、写真のように4重扉構造となっていたそうです。
ダイナマイトをいれて爆破した跡。地下壕にいくつも見られた。
41式山砲
この砲はバラバラにして人手で運搬できたとのこと。
ベトナム戦争でも旧日本兵がベトナム兵に使い方を教えたと聞きました。
これは元々地下壕になかったが、栗林中将が地下壕を掘って、普段は見えないようにするよう指示したらしい。
カモフラージュされた塹壕の弾薬庫。
土嚢を積んでいるのが片側なのは、そちらの方向に部隊長?の部屋があったからと聞きました。
板長さん。スタスタ歩きます。
12cm砲。これは日本陸軍の三式高射砲だろうか。
7cmと違って高高度を飛ぶB-29を撃墜する能力があり、ギアを人力で動かしたものではなく、モーターで台座を動かす構造で高性能だったらしい。東京に設置したものはB-29を撃墜できたらしいが、なにぶん120台程度しか生産されなかったそうで。
タイマーで当たらなくても爆発する弾(時計式信管:名前忘れた)、と通常の信管の弾の二種類あることが確認されたそうです。
日本軍には、米軍のような近接信管(VT信管、マジックヒューズ)はなかった。
この砲は東側を向いていたと思う。ブッシュ氏を撃墜したのはこの砲かなあ。でも射角がコレじゃあなあ。
条線が見える
これも栗林中将がここに移設させたとのこと。
これでお湯を沸かしていたそう。
発電施設って言ってたっけ。たぶん。
木を切らず、カモフラージュに使っている。
入口には碍子が転がってた。
さきほどの12cm砲が元々あった場所。
移設後は、円卓の会議室として使っていたらしい。
大日本麦酒の星マークが見える。
戦後は財閥解体で、サッポロとアサヒに分割された。
イカリマークがある。醤油と言われていたような。メーカー忘れた。
米軍だったか、13mmと7.7mmの薬莢。
米軍の艦載機によるものだろうか。
マスタングP-51の残骸もあるそうで、これは見られなくて残念でした。
海軍さんのマークが入ったお椀など。
こういうの盗まれないのかなあ。
7cm高射砲
高射砲なのに壕の中にある?不思議だったのですが、これも栗林中将が水際防御から内陸での持久戦への持久戦の戦法を取るために高射砲も陸戦用に秘匿隠蔽したためだそうです。この砲は境浦を向いていたんだっけ?
高射砲の移動用台車のタイヤ?
内外ゴムのタイヤ
資材運搬用のトロッコの線路
地下壕の入口は火炎放射器対策のために屈曲している
壕内の穴。真円ではないのは人力による穴である証拠らしい。
海軍通信隊送信所跡
爆撃を想定してかなり重厚な作りになっている。
終戦直後に航空機からの爆弾が一発建物内で爆発したそうです。
発電機?が設置してあった
壁の厚さ70cm
初寝浦を望む場所 何だったか忘れたw
タイマーの信管(時計式信管)
高射砲の薬莢だったかな。真鍮製。
参考:父島の戦争遺跡
おまけ
板長さんにいただきました。ありがとうございます。額に入れて飾ります。
「岩山に我がもの顔に座る砲」
今から思えば、父島にある高射砲はすべて壕の中にあり射角は取れない状況で、すべて湾の方向に水平にむけてあった。
すでに制空権はもちろん制海権もなかった日本軍は、航空機を撃墜する目的ではなく、米軍上陸時に叩くために砲を設置しており、これは栗林中将の指示だとの話なのだと思う。
板長さんは九州出身で、小笠原に移住し、板長をされていたそうですが、昔から独自に夜明山周辺の戦跡を発掘し、旧日本軍の方や防衛省から情報を得て戦跡ツアーを始められたと聞きました。
WWII時は飛行場のあった硫黄島に近いということもあって戦略的に重要であったので要塞化されていました。そもそもは父島に司令部を置く予定だったようですが、アメリカ軍が飛行場適地である硫黄島を重要視すると判断し、栗林中将も硫黄島に移動したようです。
硫黄島はアメリカ軍が1945年2月―3月までの激戦を制し、占領しました。
それで父島はというと、爆撃は受けたようですが、硫黄島のように米軍の上陸はなかった。
板長さんによれば、栗林中将は父島に来てから(着任1944年5月)、大砲の配置を地下壕に移設し、敵から見えないようにすることを指示し、地下トンネルを掘る部隊を本土から一万人近く呼んだそうです(兵隊には地下壕は作れないから鉱山での労働者を送り込ませたと聞きました)。
硫黄島に移動してからも要塞化を進め、これまでのように水際で食い止める方法ではなく、要塞化した地下壕の中でできるだけ長期戦、ゲリラ戦に持ち込む戦法とし、米軍を苦しめたことは映画などでも知られているかと思います。
硫黄島の戦いは死傷者数で米軍が日本軍を上回った数少ない戦いでもあります。
また、板長さんに教えてもらったことに第41代米国大統領ジョージ・ブッシュさんの撃墜の話があります。
ブッシュさんは、アベンジャー乗りだったそうですが、父島は要塞化されているので高度を落とすなと命令されていたのに高度を下げ、対空砲火によって撃墜されたそうです。場所は夜明山の東、東島方面と聞きました。
撃墜時脱出したブッシュさんは見方潜水艦に救助され、その後政治家となったそうです。
小笠原では当時、小笠原事件で明るみに出たカニバリズムがあったので、ジョージ・ブッシュも潜水艦に助けれれてなければ、犠牲になっていた可能性が高く、本人もそう思っていたようです。
これは発電設備を設置していた地下壕と聞きました。
硫黄島からの通信を傍受し、大本営に報告していたそうです。
重要な施設であったので、写真のように4重扉構造となっていたそうです。
ダイナマイトをいれて爆破した跡。地下壕にいくつも見られた。
41式山砲
この砲はバラバラにして人手で運搬できたとのこと。
ベトナム戦争でも旧日本兵がベトナム兵に使い方を教えたと聞きました。
これは元々地下壕になかったが、栗林中将が地下壕を掘って、普段は見えないようにするよう指示したらしい。
土嚢を積んでいるのが片側なのは、そちらの方向に部隊長?の部屋があったからと聞きました。
板長さん。スタスタ歩きます。
12cm砲。これは日本陸軍の三式高射砲だろうか。
7cmと違って高高度を飛ぶB-29を撃墜する能力があり、ギアを人力で動かしたものではなく、モーターで台座を動かす構造で高性能だったらしい。東京に設置したものはB-29を撃墜できたらしいが、なにぶん120台程度しか生産されなかったそうで。
タイマーで当たらなくても爆発する弾(時計式信管:名前忘れた)、と通常の信管の弾の二種類あることが確認されたそうです。
日本軍には、米軍のような近接信管(VT信管、マジックヒューズ)はなかった。
この砲は東側を向いていたと思う。ブッシュ氏を撃墜したのはこの砲かなあ。でも射角がコレじゃあなあ。
これも栗林中将がここに移設させたとのこと。
これでお湯を沸かしていたそう。
発電施設って言ってたっけ。たぶん。
木を切らず、カモフラージュに使っている。
さきほどの12cm砲が元々あった場所。
移設後は、円卓の会議室として使っていたらしい。
大日本麦酒の星マークが見える。
戦後は財閥解体で、サッポロとアサヒに分割された。
イカリマークがある。醤油と言われていたような。メーカー忘れた。
米軍の艦載機によるものだろうか。
マスタングP-51の残骸もあるそうで、これは見られなくて残念でした。
海軍さんのマークが入ったお椀など。
こういうの盗まれないのかなあ。
7cm高射砲
高射砲なのに壕の中にある?不思議だったのですが、これも栗林中将が水際防御から内陸での持久戦への持久戦の戦法を取るために高射砲も陸戦用に秘匿隠蔽したためだそうです。この砲は境浦を向いていたんだっけ?
内外ゴムのタイヤ
地下壕の入口は火炎放射器対策のために屈曲している
壕内の穴。真円ではないのは人力による穴である証拠らしい。
海軍通信隊送信所跡
爆撃を想定してかなり重厚な作りになっている。
終戦直後に航空機からの爆弾が一発建物内で爆発したそうです。
参考:父島の戦争遺跡
おまけ
板長さんにいただきました。ありがとうございます。額に入れて飾ります。
「岩山に我がもの顔に座る砲」
今から思えば、父島にある高射砲はすべて壕の中にあり射角は取れない状況で、すべて湾の方向に水平にむけてあった。
すでに制空権はもちろん制海権もなかった日本軍は、航空機を撃墜する目的ではなく、米軍上陸時に叩くために砲を設置しており、これは栗林中将の指示だとの話なのだと思う。
by y-yamatn
| 2015-02-23 21:58
| 旅