2011年 08月 03日
早川センセの夏休み
★早川マップで有名な群馬大の早川センセのブログ。
7月29日から3週間夏休みでフランスとイタリアへ。放射能の仕事はされないらし。
このマップではっきりと分かる北西方向の計画的避難区域方向に伸びた高濃度区域は、3月15日の降雨によるレインアウトによるものだと聞いたので、飯舘村のアメダスのデータをみると、やっぱ降雨があってなおかつ主風向が東南東方向だった。
先日の児玉先生の資料にも、F1から遠いところで高線量が出ていることが指摘されていたが、これはつまり水素爆発やベントによって高高度に飛散したセシウムやヨウ素が移流拡散しながら、F1から遠くに最大濃度着地地点が発生した、あるいは高高度を移流拡散中にレインアウトされたものか、なのだろう。
震災の影響なのか3/12-14の3日間は欠測だが、たった3日で復旧しているのはさすがというべきか。
さらに、早川マップから読み取れることで、あ!と思ったのは、F1から80km範囲内に1~2μSv/hのコンターラインが分布することだった。2マイクロは年間の線量にすると2×24×365=17520μSvつまり17.5mSvである。
20mSvは、福島県内の学校の幼児、児童、生徒が受ける放射線量の限界を年間20mSvと暫定的に規定された数値。また、50mSvは放射線業務従事者の被ばく上限である。
それから考えてもアメリカが直ちに80km圏外への退避を求めたのは、適切だったと言えるのかもしれない。
当時は「直ちに影響はない」とエダられただけだったが・・・
★早川センセの言葉をコピペします。
自発的に解決してくださいとのタイトルで。なんか、響くものがあります。
原発から放射能が飛んできて、人がバタバタ死ぬようなことは起こらないのだと、3月11日の地震から4ヵ月半たって、みなさんわかってきたと思います。案外たいしたことなかったと思っている人が多いように見受けられます。
しかし、3月15日と21-23日に東日本各地に広がった放射能は、これから何年も何十年も日本国を苦しめます。一見何も変わらない景色が目の前に広がっていますが、それは3月11日以前とはまったく違ってしまっています。都市だけでなく山もひどく汚染されてしまったことが私はとくに残念です。
この放射能汚染の実態がどうであるかを正確につかむため、私は4月8日以来、地図をつくることに熱中しました。つくった地図はすみやかに公表してきました。
私は5月の連休明けに、これが自分自身の生命を脅かす重大な脅威だとはっきり認識しました。人生設計を考え直し家族の将来を再考しました。その考察プロセスと実際行動のかなりの部分をここで紹介しました。
私が選択した対応を実行するには、かなりの出費を必要とします。これまで見通していた将来の姿もずいぶん違ったものになりました。その出費と変更を必要とさせたのはたしかに東京電力ですが、彼らに賠償するだけの財力があるとは思えません。原発にこれまで無関心だった自分にも非があったのであきらめます。
地震から4ヵ月半たったいま、私はこの仕事にひと区切りつけます。みなさんも、この災厄を自分自身の問題だととらえて、この困難を自発的に解決する道にすみやかに進まれることを私は望みます。
これまでいろんな情報をみていながら感じることは、やはり自分の安全を守るのは自分自身なのだなという至極あたりまえのこと。これだけ情報があふれる中で、何が正しくて何が間違っているか、誰が言うことを信じれば良いのか、、、正しい判断をすることは本当に難しい。
残念ながら、政府のいうことは、遅すぎるか、不正確か(あるいは嘘か)そういった感がある。
★9月から本格的な除染が始まると思うが、除染って洗浄するだけなら除去ではなくて単にその場からけしているだけのこと。泥を流しているのと同じ。結局は下流域に汚染は流出する。やがてそれは河川や地下水に流入し、海洋汚染にもつながる。20km圏内や計画的避難区域に住めるようになる日が早く来る日を望むが、除染は慎重にやってもらいたいと思う。
7月29日から3週間夏休みでフランスとイタリアへ。放射能の仕事はされないらし。
このマップではっきりと分かる北西方向の計画的避難区域方向に伸びた高濃度区域は、3月15日の降雨によるレインアウトによるものだと聞いたので、飯舘村のアメダスのデータをみると、やっぱ降雨があってなおかつ主風向が東南東方向だった。
先日の児玉先生の資料にも、F1から遠いところで高線量が出ていることが指摘されていたが、これはつまり水素爆発やベントによって高高度に飛散したセシウムやヨウ素が移流拡散しながら、F1から遠くに最大濃度着地地点が発生した、あるいは高高度を移流拡散中にレインアウトされたものか、なのだろう。
震災の影響なのか3/12-14の3日間は欠測だが、たった3日で復旧しているのはさすがというべきか。
さらに、早川マップから読み取れることで、あ!と思ったのは、F1から80km範囲内に1~2μSv/hのコンターラインが分布することだった。2マイクロは年間の線量にすると2×24×365=17520μSvつまり17.5mSvである。
20mSvは、福島県内の学校の幼児、児童、生徒が受ける放射線量の限界を年間20mSvと暫定的に規定された数値。また、50mSvは放射線業務従事者の被ばく上限である。
それから考えてもアメリカが直ちに80km圏外への退避を求めたのは、適切だったと言えるのかもしれない。
当時は「直ちに影響はない」とエダられただけだったが・・・
★早川センセの言葉をコピペします。
自発的に解決してくださいとのタイトルで。なんか、響くものがあります。
原発から放射能が飛んできて、人がバタバタ死ぬようなことは起こらないのだと、3月11日の地震から4ヵ月半たって、みなさんわかってきたと思います。案外たいしたことなかったと思っている人が多いように見受けられます。
しかし、3月15日と21-23日に東日本各地に広がった放射能は、これから何年も何十年も日本国を苦しめます。一見何も変わらない景色が目の前に広がっていますが、それは3月11日以前とはまったく違ってしまっています。都市だけでなく山もひどく汚染されてしまったことが私はとくに残念です。
この放射能汚染の実態がどうであるかを正確につかむため、私は4月8日以来、地図をつくることに熱中しました。つくった地図はすみやかに公表してきました。
私は5月の連休明けに、これが自分自身の生命を脅かす重大な脅威だとはっきり認識しました。人生設計を考え直し家族の将来を再考しました。その考察プロセスと実際行動のかなりの部分をここで紹介しました。
私が選択した対応を実行するには、かなりの出費を必要とします。これまで見通していた将来の姿もずいぶん違ったものになりました。その出費と変更を必要とさせたのはたしかに東京電力ですが、彼らに賠償するだけの財力があるとは思えません。原発にこれまで無関心だった自分にも非があったのであきらめます。
地震から4ヵ月半たったいま、私はこの仕事にひと区切りつけます。みなさんも、この災厄を自分自身の問題だととらえて、この困難を自発的に解決する道にすみやかに進まれることを私は望みます。
これまでいろんな情報をみていながら感じることは、やはり自分の安全を守るのは自分自身なのだなという至極あたりまえのこと。これだけ情報があふれる中で、何が正しくて何が間違っているか、誰が言うことを信じれば良いのか、、、正しい判断をすることは本当に難しい。
残念ながら、政府のいうことは、遅すぎるか、不正確か(あるいは嘘か)そういった感がある。
★9月から本格的な除染が始まると思うが、除染って洗浄するだけなら除去ではなくて単にその場からけしているだけのこと。泥を流しているのと同じ。結局は下流域に汚染は流出する。やがてそれは河川や地下水に流入し、海洋汚染にもつながる。20km圏内や計画的避難区域に住めるようになる日が早く来る日を望むが、除染は慎重にやってもらいたいと思う。
by y-yamatn
| 2011-08-03 22:32
| 震災関連