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飯縄山TT
★先週飯縄山を恐る恐る登ってみた。
 しばらくトレイルを走ってなかったので、どんなタイムになるか心配だったが、55分くらいで登れた。

 自分のトレーニング法として、歩いたほうが速そうでも、なるべくトントンと走ることがある。
 歌ヶ丘~大峰山はいつもゆっくりでよいから止まらず走るようにしているが、飯縄山は無理。
 駒つなぎの手前の急斜面までが限界。
 でもトラックで心拍数をあげるのはしんどくても、トレイルの登りでは簡単に上げられるので何故か楽しい。

 今日は、地区の掃除の後、飯縄山のTTをやった。

 駒つなぎ   25分ちょい
 手前のピーク 47分くらい
 山頂      51分20秒
 


 ゲロがでるほど頑張れば、50分切れるだろうか。
 最近幸せそうな◯山君は50分切っているらしい。そりゃそうだろうな。
 今度気合を入れてやってみるか。皆で記録会をやるのも楽しそうだ。

 飯綱山からは中社方面に降りた。まだ結構雪が残っているが、スタンディング・グリセードを楽しむ。
 その後、中社へのトレイルへ。
 水路沿いにニリンソウが咲いていたり、ノスリ、キビタキ、オオルリ、クロツグミが鳴いていいたり、なかなか素晴らしいトレイル!しかし、誰にも会わない。
 中社から鏡池へ。鏡池は上高地状態だった。スゴイ人。Myama君も来ていたらしい。
 自分は湖畔でゴハンを食べた。う~ん、気持ちいい。こんなところに気軽に来れるのはスバラシー。
 そっから、中社に戻り、いつもはトレイルを走って戻るのだが、今日は神告温泉から林道を使った。
 もう着くだろうと思ってからが長かった・・・

 飯縄山の駐車場は、MTBの人たちがたくさんいた。どこを走ってたのかな・・・


飯縄山山頂付近はまだ少し雪が残っている。


飯綱~戸隠方面へのトレイル。ニリンソウがキレイ。


鏡池。戸隠連峰がよく見えた。鏡池は人がかなり多かった。


カタクリが咲いてた。



★来週、野辺山ウルトラにでるかどうかまだウジウジと悩んでいる。
 とても完走できそうにないけれど、せっかくエントリーしたし、、、このパターンは長野マラソンのときと同じだ。きっぱりとDNSがよいというのは分かっているが・・・


# by y-yamatn | 2012-05-13 18:36 | トレイルラン | Trackback | Comments(4)
石巻市立大川小学校のこと
★平成24年5月4日に石巻市の大川小学校に行ってきた。
震災では全校生徒108人中74人が犠牲となった。
大川小学校は北上川の河口から約4kmに位置し、北上川右岸の堤防より低い位置にある。
石巻のハザードマップでは、浸水の想定はされていなかった。
昭和三陸津波1933年においても河口から1km程度しか浸水してなかった。

ハザードマップは、宮城県が実施した「第三次地震被害想定調査」の結果等に基づいて、宮城県沖地震(連動型)に伴い津波が発生した場合の市内の予想浸水区域並び各地域の避難場所を示したもの。
画面の左下の端が大川小学校。


平成23年3月11日の震災の日、大川小学校でなにがあったかについては以下のサイトに詳しいので参照してください。
自分は大川小学校周辺と、これら資料の中に出てくる裏山を見てみたかった。

なぜ大川小学校だけが大惨事となったのか

<参考資料>
石巻市ハザードマップ
大川小学校周辺の浸水範囲概況図
この図の真ん中より下にある橋の右岸側の北東すぐのところに大川小学校があった。
2万5千分1 浸水範囲概況図 宮城県

山谷撮影。


この動画の7秒付近に映っている鬱蒼とした針葉樹の弱い谷地形のところが、おそらく登れた獣道の斜面。
入口に桜が植えられていた(写真下)。ここを登っていれば・・・と思うけど、第三者の結果論にすぎない。


震災当日は、生徒たちは校庭に集まった後、17秒付近に映っている黄緑色の橋付近(新北上大橋)の堤防に歩いて向かっていたたきに津波にのまれたとされている。

当日のこの橋付近の映像が下記画像に残っている。
黄緑の橋(新北上大橋)。この橋よりさらに右手の方向に大川小学校があった。
映像の中でも、「学校大丈夫か!学校!」とさけぶ声が入っている。
この映像では橋の付近は水が来ていないが、流木等が見えるため、最大水位よりやや水位が下がり始めている時の映像かもしれない。ただし、北上川を逆流(右方向が下流だが、左方向に水流がある)している。



裏山は急斜面だし、記事にもあるように積雪や倒木があったとの話もあるが、もし津波が大川小学校に届くとの認識があれば、何が何でも裏山に登ったと思う。
ハザードマップにも浸水想定されてなかったし、昭和の津波でも河口から1km程度の浸水であったことを考えると危機意識を持つのは難しかったかもしれない。
しかしながら、助かった子供を迎えに来たご両親の中には、津波が来るからすぐに裏山に逃げてと言っていた人もいたわけで、実際他の学校での犠牲者は少なかったことを考えると、学校側の不手際を指摘する親の気持ちはよくわかる。
けれど、先生方も犠牲になっているわけだから(11人中9人死亡1人行方不明1名生存、校長は不在で生存)、本当に悲劇だと思う。

学校側の説明会のニュース映像。


平成24年5月4日に撮った写真。
こどもの日の前日。
現場にはバスが乗り付けていて、観光地といった感じであった。

桜の造花で飾られた碑。大川小学校は校庭にたくさんの桜があったらしい。

碑の下にあった震災前の写真。周辺に映っている多くの住宅もなくなっていた。

校舎は2階建て。屋上がなかったため、校庭に集まった。屋上があれば屋上に避難していたのではないかと言われているが、その場合安全だったかどうか不明。




卒業生が残した壁画。宮沢賢治を題材にしていた。



★一方で、釜石の奇跡として有名になったが、普段の訓練から、ほとんど子供たちの犠牲者が出なかった地域もあった。

釜石市は群馬大学の片田敏孝教授が指導していた。
だから奇跡ではなく、成果だ!という人もいる。確かにそうだと思う。
奇跡としてしまうと、次につながらない気がする。

片田先生の津波避難の三原則
1.想定にとらわれるな
2.最善をつくせ
3.率先避難者たれ

想定にとらわれるな、にはハザードマップを信じるなという先生の言葉がありました・・・

必見です。感動しました。。。前編・後編ともに見て欲しい。
これがホントの防災教育なのだろう。三原則の話もくわしくあります。


「釜石の奇跡」に学ぶ 出版や社員教育、世銀は途上国に情報発信へ

釜石市のサイトより。
津波から身を守る知恵を持った子を育てる。





# by y-yamatn | 2012-05-12 09:03 | 震災関連 | Trackback | Comments(0)
津波地震とGPS波浪計
しつこいですが、続きます。

田老地区を襲った過去の津波の大きなものは、

1896年(明治29年) 明治三陸津波 人口2248人中 1867人が死亡(83%)
              生存者は出漁中の漁民や山仕事をしていた者がほとんど。

1933年(昭和8年) 昭和三陸津波 死亡・行方不明者数 人口2773人中 911人(32%)

1960年(昭和35年) チリ地震 田老の防潮堤(※1)は威力を発揮し、津波被害は殆どなかった。



※1 防潮堤工事
第一期工事は1934年(昭和9年)に開始。
1940年(昭和15年)には工事が中断。
1954年(昭和29年)に14年ぶりに工事が再開され、4年後の1958年(昭和33年)には工事が終了。
地上高7.7m、海面高さ10m という大防潮堤が完成。



チリ地震の津波は明治三陸大津波よりも大分小さかった。
だから防潮堤が津波を防いでくれた。
これを契機に防潮堤への信頼が厚くなってしまった。

明治三陸大津波は、83%の人が死亡するという悲惨さなのだが、これは明治三陸大津波が、いわゆる津波地震だった、ということが大きい

津波地震とは、地震の規模が小さいのに大きな津波を発生させる地震のこと。
ちなみに明治三陸大津波のときの地震は宮城で震度3程度だったらしい
このためあまり地震に気がつかれず、対応も遅れてしまったようだ。

また、日清戦争に従軍して凱旋した兵士たちを迎え、三陸の村々で祝賀式典が開かれ、兵士を迎えた家では宴もたけなわだった。そして、この日は旧暦の端午の節句であった。しかも夜8時頃。

wikiより
明治三陸地震は、震度が小さいにもかかわらず、巨大な津波が発生し、2万人を超す犠牲者が出た。これは、この地震が巨大な力(マグニチュード8.2- 8.5)を持ちながら、ゆっくりと動く地震であったためである。最近の研究では、この時、北アメリカプレートと太平洋プレートが幅50km、長さ210kmにわたって12- 13mずれ動いたことが分かってきた。太平洋プレートの境界面には柔らかい堆積物が大量に溜まっており、それが数分にわたってゆっくり動いたと推定される。その独特の動きが激しく揺れる地震波よりもはるかに大きなエネルギーを海水に与えたと考えられる。

また、地震動の周期自体も比較的長く、地震動の大きさの割に人間にはあまり大きく感じられない、数秒周期の揺れが卓越していた。このため、震度が2- 3程度と小さく、危機感が高まりにくかったと考えられる。


このことは、大規模な地震が発生したからといって大津波になるとは限らないのと同様、小さな地震だからと言って、津波が発生しないとは限らないということを示している。

一体、どうすりゃええんじゃ。

しかし、GPS波浪計というのがあって、これが観測する波から、津波高さを予測できる。
3.11のときもこのGPS波浪計が6m程度の波を観測していて(※2)、津波高さは20-30m程度なるという予測が可能だった(通常GPS波浪計の観測値の4,5倍が津波高さとなるらしい)。

※2 津波状況 コレ

地震の規模と津波規模に相関がないのだとしたら、緊急地震速報のように、GPS波浪計のデータから瞬時に津波高さを予測し、携帯や防災無線などに緊急連絡が発信されるようなシステムを構築するのが一番なのではないのかなと思う。



しかし、実際は・・・GPS波浪計のデータは活かされなかった。
以下の動画参照。




田老地区20-30mの防潮堤を築けば、津波は抑えられるのかもしれないが、そういうハード整備を重要視する防災思想だけでは、災害は防止できない。
来たら逃げるにも限界があって、今回も問題となったが、体の不自由な人や老人の多くが犠牲となった。
そして、そういう人を助けに行く人々も。

だから少なくとも高台に住居を設けるようにすべきで、津波被害を受けた低地は商工業施設や、漁業関係の工場などに限定し、そういった場所には避難タワーを設置するなどの対策をする必要がある。

そして、津波てんでんこで、それぞれが逃げる。逃げられない人、逃げにくい人?たちはそもそも津波の来ないところに生活の基盤をおくべきである。
学校や行政機関は絶対に高台に設置すべきである。

以下の田老地区の都市モデル計画はそのような思想に基づいて作られている。
もしこれが実現すれば、かなりの減災効果があると思う。



田老地区の都市モデル計画

「東日本大震災復興都市モデル計画」より
2011 年5 月20 日
復興都市モデル研究グループ





# by y-yamatn | 2012-05-07 23:04 | 震災関連 | Trackback | Comments(0)
田老の防潮堤
5月3日に宮古市田老に行ってきた。
田老の防潮堤と津波について知りたい方は、まず以下の報告書を参照されたい(日本地理学会災害対策本部HP)。

田老の防潮堤と津波の波高

その他参考:津波の知識と教訓/文・写真:防災・危機管理アドバイザー山村武彦





実際の津波の映像
タイトルはよくないが・・・音が大きいので注意!!!


映像にもあるが津波は10mの防潮堤を軽々と超えている。
過去の明治三陸大津波においても波高(陸遡上高)は38.2m(1896年の明治三陸地震津波、岩手県綾里村)あったので、大地震のときは津波が防潮堤を越えてくることは住民を知っていたはず。
問題は、今回の地震が明治三陸並と感じられたかどうかだか、人それぞれ受けとめ方は違ったようで、国道で上記動画を撮っていた人もいれば、防潮堤に津波を見に行った人もいたし、もちろん高台に逃げた人もいた。
しかし、今だからタラレバで語れることも、実際現地で自分が遭遇していたら、どのようにしていたかと思うと、自分も防潮堤の上に立っていたような気がする・・・

4月5日の状況の映像


山谷撮影動画


再建された物産センターにいたワンコ

防潮堤の上から南西方向

北方向に伸びる防潮堤。鉄パイプが陸側に曲がっている。

東に伸びている防潮堤は破壊されている。

防潮堤の登る階段。階段の手すりは海側に曲がっている。
津波時に防潮堤の上に津波を見に来た人がいたという。

破壊された防潮堤の断面。

X型の防潮堤の要の部分にある入口。津波が来たときは閉じられていたのだろうか?

防潮堤内部の住宅跡地。標高の高い所、あるいは山際の家、鉄筋コンクリートの建物以外はほとんど残ってなかった。

防潮堤内部にできていたバラック。人が住むためのものなのかは不明。このような建物には補償がないらしい。

だから例えばこのように理髪店を開業したとしても補償対象外なのかもしれない。

がれき置き場。

3階まで破壊されており、4-5階も水が入っているように見えた。6階には電気がついていた。

三陸大津波の看板。

青砂里に登る道路の途中。ガードレールの破損状況から、写真撮影の立ち位置くらいまで逃げてないといけなかったかも。
# by y-yamatn | 2012-05-06 18:59 | 震災関連 | Trackback | Comments(2)
田老へ
★長野マラソンから2週間。まったく走らず、モチを蓄積。ホントなら野辺山直前の走り込みをしたい時期だったけれど、あっさり諦めたのでのんびりしている。6月の菅平で復帰かな。

★GWは1日、5日が仕事なので連休ではない。これでも30日と2日に休みを取ったのだ。
 うちの会社にはGWはない・・・

28日 仕事 → トレマン飲み会
29日 実家へ
30日 実家へ
1日 仕事
2日 東北
3日 東北
4日 東北
5日 仕事
6日 休み 予定なし

 2-4日はヲカダとのんびり行ってきます。宿も盛岡にとることができた。
 今は震災復興バブルで宿の確保が大変なのです・・・


★東北へは、田老地区の万里の長城と呼ばれた防潮堤を見にいくことを目的としている。

川向という地区を中心にX型の防潮堤が整備されていた。

万里の長城の一部は一瞬にして倒壊した。

看板が悲しい・・・



 以下、ウィキの抜粋。

 
 田老地区は「津波太郎」と呼ばれるほど津波被害を受けてきた地区で、1611年の慶長三陸地震津波では村がほとんど壊滅したといわれている。

 1896年(明治29年)の明治三陸津波では、県の記録によると田老村(当時)の345戸が一軒残らず流され、人口2248人中83%に当たる1867人が死亡したとある。生存者は出漁中の漁民や山仕事をしていた者がほとんどであった。津波後、村では震災義援金で危険地帯にある全集落を移動することにした。しかし工事にかかったところで、義援金を村民に分配しないで工事に当てることの是非や工事の実効性に村民から異論続出し移転計画は中断を余儀なくされた。そして結局、元の危険地帯に再び集落が作られた

 1933年(昭和8年)の昭和三陸津波による田老村の被害は、559戸中500戸が流失し、死亡・行方不明者数は人口2773人中911人(32%)、一家全滅66戸と、またしても三陸沿岸の村々の中で死者数、死亡率ともに最悪であった。東大教授・今村明恒博士ら学者の助言に基づいて当時の内務省と県当局がとりまとめた復興策の基本は集落の高所移転、すなわち「今次並びに明治二十九年に於ける浸水線以上の高所に住宅を移転」することであり、また移転のための低利の宅地造成資金貸付などの措置もとられた。

 田老は当時としては規模の大きな村で、全村移転は敷地確保が難しく、周囲に適当な高台もなかった。海岸から離れては主要産業の漁業が困難になるという問題もあった。そこで当時の村長・関口松太郎以下、村当局が考え出した復興案は高所移転ではなく、防潮堤建造を中心にした計画であった。費用は大蔵省から被災地高所移転の宅地造成貸付資金を借入して防潮堤工事に当てることとした。

 第一期工事は1934年(昭和9年)に開始された。高台移転案を基本とし、当初は難色を示した国と県も交渉の結果費用負担に同意し、2年目からは全面的に国と県が工費を負担する公共事業になり、建設は順調に進むかと思われた。しかし日中戦争の拡大に伴い資金や資材が枯渇、1940年(昭和15年)には工事が中断する。戦後、町をあげて関係官庁への陳情を繰り返した結果、1954年(昭和29年)に14年ぶりに工事が再開され、4年後の1958年(昭和33年)には工事が終了し、起工から24年を経て全長1350m、基底部の最大幅25m、地上高7.7m、海面高さ10m という大防潮堤が完成した。その後も増築が行われ、実に起工半世紀後の1966年(昭和41年)に最終的な完成を見た。総工事費は1980年当時の貨幣価値に換算して約50億円に上り、総延長2433mのX字型の巨大な防潮堤が城壁のように市街を取り囲む壮大な防潮堤であった。

 1960年(昭和35年)に襲来したチリ地震津波では、三陸海岸の他の地域で犠牲者が出たにもかかわらず堤防が功を奏して田老地区の被害は軽微にとどまった。これを機に防潮堤への関心が高まり、海外からも視察団がやって来るなど田老町の防潮堤は国内のみならず、世界の津波研究者の間でも注目される存在になった。昭和三陸津波70周年に当たる2003年(平成15年)3月、町は「災禍を繰り返さない」と誓い、「津波防災の町」を宣言して記念の石碑を設置した。同地区出身の田畑ヨシによる「津波てんでんこ」※の紙芝居活動をはじめとする児童への防災教育や、年一回の避難訓練にも力を入れ「防災の町」として全国的にも有名であった。その後、2005年に田老町は宮古市に編入され、消滅した。

 2011年3月11日の東日本大震災に伴い発生した津波は、午後3時25分に田老地区に到達した。海側の防潮堤は約500メートルにわたって一瞬で倒壊し、市街中心部に進入した津波のため地区では再び大きな被害が発生した。目撃証言によると「津波の高さは、堤防の高さの倍あった」という。市街は全滅状態となり、地区の人口4434人のうち200人近い死者・行方不明者を出した。「立派な防潮堤があるという安心感から、かえって多くの人が逃げ遅れた」という証言もある。震災から半年後の調査では、住民の8割以上が市街の高地移転に賛同しているという。


※津波てんでんこ wikiより
 「てんでんこ」は、「各自」「めいめい」を意味する名詞「てんでん」に、東北方言などで見られる縮小辞「こ」が付いた言葉。すなわち、「津波てんでんこ」「命てんでんこ」を直訳すると、それぞれ「津波はめいめい」「命は各自」となる。

「津波てんでんこ」「命てんでんこ」を防災教訓として解釈すると、それぞれ「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」になるという。また、自分自身は助かり他人を助けられなかったとしてもそれを非難しない、という不文律にもなっている



 他の地域もそうであるが、津波直後は高所移転に賛同するものの、実際高所に移転した後の生活が不便であったため、戻ってくるものが多かった。昔は車がなかった、あるいは少なかっただろうから、やむを得ない部分があったかもしれない。
 実際、地形を見ても簡単に高所移転する用地を確保できる地域ではない。

 一瞬で倒壊したという防潮堤だが、現地にいけば、あの津波のエネルギーを感じられるかもしれない。
 もう一度、吉村昭の「三陸海岸大津波」をもう一度読んでいきたい。

 田老地区は高所移転こそほとんどやっていなかったかもしれないが、防潮堤を中心としたハード面の対策と防災教育などのソフト面の対策をやっていたのだと思う。その結果がどうか分からないが、3.11は人口4434人のうち200人の犠牲者と、明治の津波(83%死亡)と比べると5%以下とかなり少ない結果となっている。

 海外からも視察にくる、万里の長城と呼ばれた自慢の防潮堤。
 「立派な防潮堤があったという安心感から、かえって多くの人が逃げ遅れた」というのは非常に残念な話だ・・・





# by y-yamatn | 2012-04-28 08:00 | 震災関連 | Trackback | Comments(3)
長野マラソン 記録
★できるとこまで行こうと3:50で出発しましたが、20kmで心折れました。


 スタートから前にいる人を抜くのが結構大変でした。来年は陸連登録済だから大丈夫かな。
 15kmくらいまでは3:50-4:00で推移していたのですが、20km手前から身体がだめになりました。
 一度緊張感が切れるとダメですね。

 ホワイトリングでリタイヤと思っていましたが、あまりにも激しい応援にひるんでしまい、通過。
 結局、キロ6分弱のジョグモードで最後まで走りました。
 正直、地元レースのため、会社のひとも応援してくれているかもしれないし、ヲカダも会社の当番を変わってもらって応援してくれたので、リタイヤ出来ませんでした。

 記録 3時間13分くらい ゼッケン2066

 やまとうまさんは、2:41のPB!さすがです。
 urakovさんも2:38くらいと聞きました。スゴイ。

やまとうまさんと




メモ
 起床  4:45
 自宅発 6:30
 スタート会場 7時過ぎ?


★新城前くらいから走り過ぎ?による過労のような症状がありました。股関節の痛みや左足の痛み。
 だましだまし走っていて、新城もそれなりに走れたので、さらに走って、故障直前に。

 最近の左足の違和感はふくらはぎだったのですが、走っているうち左足首も痛くなり、後半は右足の方が痛くなってしまいました。ちょっと今はしばらく走りたくありません。

 野辺山は回避かな~と弱気にも思ってます。
# by y-yamatn | 2012-04-15 19:46 | レース | Trackback | Comments(5)
長野マラソン前夜
★いよいよ明日は長野マラソン。
 左足の違和感は消えない。きょうも少し走ってみたが、痛みがあってすぐやめた。
 たぶん、走り始めは痛いと思うが、すぐ消えるだろう・・・と思う。痛みがませば、今後のことも考えて、リタイヤするかも。
 新城以降、走る距離はだいぶ落として、今月も130kmくらいしか走ってない。体重はそんなに増えてないが、体脂肪はマラソンを走る人の数字ではない。恥ずかしくて書けない・・・

 明日は、左足の調子が良ければ、3:50を(できるだけ)続けて、なんとかPB&45分切りを出したい。
 
 また、暑さも心配。
 ジェルは2つ持っていく。塩タブも。
 暑そうなんで、帽子はどうすべか?たぶん持って行くけど使わないかな。ポケットに入れていくか・・・

  

 
 コースムービーをみてから寝ます。


# by y-yamatn | 2012-04-14 21:06 | レース | Trackback | Comments(0)
泰食堂 ソイ
★前から行きたかった泰食堂 ソイに行ってきた。
 ソイってソイビーンズのソイかと思っていたら、タイ語らしいです。
 
 場所は長野市立図書館前。
 図書館に行ったときは、ここだな。
 とりあえず全メニュー制覇したい!

 今日は休日だったから、合庁に車停めました。

 オーナーのブログ  → 豆じゃないのだ

 長野県情報の発信基地 このサイトにはメニューあります!


食べかけですみません・・・


 ごはんを食べていたら図書館の前の桜をテレビ局の人が撮影していた。
 たぶん、夕方のニュース映像だろうな。
 青空とのコントラストが綺麗でした。



 タイ飯食った後、図書館などによった後、最近オープンしたというカフェ日々に行きしました。
 しかし、日曜日が定休日でした (T T)
 永遠に行けそうにないな・・・

 カフェ 日々

 入り口がカッコよかった。 このサイトに写真あり



# by y-yamatn | 2012-04-08 18:17 | ごはん | Trackback | Comments(0)
カウントダウン 長野マラソン
★いよいよ来週末になった長野マラソン

 2012.4.15 8:30 START 

 
 ちょーしは、、、どうだろう。走れるとは思うが、とても自己ベストを狙えるような気はしない。
 
 特に左足が心配。。。

 長野マラソンは暑くなること多いし、出だしも飛ばせないから、あまりPB狙えるような大会ではないな。
 でも出来る限りのことはやりたい。あまり細かいこと気にせず、思い切り走りたいと思います。

 ま、ひとしきり言い訳っぽい弱音を吐くのも風物詩だな。それでも、やっぱ45分を切りたい。


★普段、疑問に思っていること。3つ。


 1.ストレッチの効果について

 2.サポートタイツの効果について

 3.サプリの効果について



 2-3.は禁断の領域かもしれないw
 自分は両方とも信じないようにしております。
 信じるか信じないかの問題じゃないですけど。
 特に2.は逆効果に思うくらいなのですが、コレは個人の感想なので、、、すみません。単に嫌いなだけかw
 サプリは効果が確認できないだけでなく(単純に比較対象を設けられないため。プラセボ効果がほとんどのような)、めちゃんこお金がかかるのがそもそもですね。

 でも、、、コンドロイチン、グルコサミンなんかの広告は酷いと思います。。。

 そんなことはよいとして、1.のストレッチについては、筋温が低い時にやりすぎると、筋肉の繊維が切れるので良くないと聞いたことがある。じゃあ、ある程度走って筋温を上げてからストレッチするとよいのか?そもそもストレッチって必要なのか?疑問はつきないが、こういうページを見つけた。

「ランニング前のストレッチには害も益もない」という説

ある研究では、ストレッチしなかったグループも、ストレッチをしたグループも、それぞれ16%が怪我をし、1週間程度、ランニングを休んだとか。この結果から、ストレッチは怪我の予防にならないが、怪我を引き起こすものでもない、という結論が導き出された。

多くの研究結果では、運動前のスタティックストレッチは、怪我の予防につながらないのみならず、パフォーマンスを妨げる可能性がある、と指摘されています。過去のある実験では、スタティックストレッチをすると、ストレッチをしない場合に比べて、ジャンプが低くなるという結果もあるそうです。



 げげげ。
 やっぱストレッチって一般に信じられているほど効果ないんだ~と思いつつ、それよりウォーミングアップが重要なんだよな~なんて思ってたら、こんなものまで。

「運動前のストレッチやウォームアップには肉体的なメリットが無い」という説

長時間運動したり体を動かす前には、ストレッチやウォームアップをした方が怪我をしにくくなると信じている人は多いです。これは、疑いようのない事実として頭の中にインプットされているかもしれませんが、実は肉体的にはそこまで大きなメリットはないそうです。

でも結局、

結局のところ、ウォームアップを繰り返すことで精神的に楽になるのであれば、あえて止めることはないでしょう。しかし、ウォームアップの時間が無駄だと感じている場合は、飛ばしてしまってもいいかもしれません。スポーツや競技のパフォーマンスには精神状態が大きく影響するので、自分が楽な方を選んでみてはいかがでしょうか。

とのことで、結局、どーでもええ、っつーことか!!! がーん。

皆さまはどう考えるでしょうか。是非、意見を聞きたい。




# by y-yamatn | 2012-04-07 19:34 | ランニング | Trackback | Comments(10)
都市を襲う津波 #Megaquake
Megaquake 第4回 TSUNAMI 襲来の悪夢

2010年3月14日放映。再々放送を見た。
東日本大震災の1年前の番組。

以下、番組内でのコメント要約。


都市の津波の研究を紹介している。
この半世紀、(都市部で)津波を経験せずに都市を拡大してきた日本。

インド洋大津波で初めて津波の映像が残され、飛躍的に研究が進んだ。

その研究の中で世界の津波研究者が注目しているのが、日本。
南海、東海、東南海が連動する巨大地震。M8.7、最大10mの津波が予測されている(注:当時の予測。現在の想定はもっと高くなっている)。
津波は関東から九州の沿岸を襲う。
国は最悪の場合、1万人の死者が出ることを想定している。

津波が初めて近代都市をおそうことが想定されているが、津波が都市でどのような挙動をしめすかほとんどわかっていない。

東北大学災害制御研究センター今村先生は、津波防災技術の第一人者。
都市の津波被害予測をシミュレーションする技術開発をしている。
世界初の被害予測シミュレーション。
5mメッシュの標高データを用いて、津波挙動を予測し、市民の避難に繋げたいと考えている。

シミュレーションのモデルは国内で最も被害が大きくなると予測されている高知市。
沿岸に襲来するのは6-8mと予測されている。
市街地は沿岸より5km程度離れている。
予測には標高データだけでは読み取れない、構造物の形状等の現地踏査結果も反映させる。

今村さんを駆り立てるものは、インド洋大津波で未然に警鐘を鳴らすことが出来なかった無力感から。
世界各地の津波防災計画を指導してきた。
あの悲劇を日本で繰り返すわけにはいかない。

23万人の犠牲者がでたが、それに対して減災出来なかった。
我々は津波シミュレーション技術を持っている。
いま地震が何処で起きたら、このようになるであろうということを見せることができる。
それに基づいて将来の備えをみなさんに考えていただく。


★今村先生は東日本大震災後もさぞかし無念だったろう。
お膝元の東北で起きただけになおさら・・・

 何か今村先生の今回の震災についてのコメントはないか探していたら、以下のブログのインタビュー記事にいきあたった。
 なかなか読み応えあります。先生の研究者としての叫びが聞こえてくるような・・・
 是非読んでもらいたい。

 第1回 津波研究者が見た“悪夢” 

その他、
今村先生の東日本大震災の報告。




★高知大学の岡村先生の津波堆積物の研究では、南海、東海、東南海地震が連動する宝永地震クラスの地震の周期は300年。宝永地震が1707年なので、いつ連動地震が起きてもおかしくないらしい。

巨大南海地震に 周期性 岡村・高知大教授ら調査


中京テレビニュースより


★番組の最後にの言葉。
 「その時までに何ができるだろうか・・・」
 この言葉が発せられた時の「その時」はちょうど1年後だった。
 結果だけ言えば、日本人が行って来た準備は、従来の想定をはるかに超える1000年に1度の貞観地震なみの津波にはまったく無力だった・・・

 そういえば、自分はこの番組4回のうち、この津波だけ一瞬見ていた。
 地質出身の自分ですら、ほとんど関心がなかったなあ、と思い返す。


★先日、東日本大震災以降、内閣府の有識者会議で南海トラフの津波想定が見直された。
 今村教授も津波高さが想定の3倍以上だったから、備えが役に立たなかった、と言われているが、この番組以降の見直しで、以下の記事のように従来の2~3倍になるということだから、ハザードマップや避難場所、防潮堤などのインフラ整備だけでなく、今後の都市計画の見直しまでの対応が急務となってくる。自治体の防災担当は頭を抱えているのではないだろうか。

 南海トラフ地震:新想定、愛南で津波最大17メートル 南予、従来の2、3倍に /愛媛

 津波高さ分布(朝日新聞)

 震度分布




# by y-yamatn | 2012-04-01 18:45 | 震災関連 | Trackback | Comments(0)


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