★平成24年5月4日に石巻市の大川小学校に行ってきた。
震災では全校生徒108人中74人が犠牲となった。
大川小学校は北上川の河口から約4kmに位置し、北上川右岸の堤防より低い位置にある。
石巻のハザードマップでは、浸水の想定はされていなかった。
昭和三陸津波1933年においても河口から1km程度しか浸水してなかった。
ハザードマップは、宮城県が実施した「第三次地震被害想定調査」の結果等に基づいて、宮城県沖地震(連動型)に伴い津波が発生した場合の市内の予想浸水区域並び各地域の避難場所を示したもの。
画面の左下の端が大川小学校。

平成23年3月11日の震災の日、大川小学校でなにがあったかについては以下のサイトに詳しいので参照してください。
自分は大川小学校周辺と、これら資料の中に出てくる裏山を見てみたかった。
なぜ大川小学校だけが大惨事となったのか<参考資料>
石巻市ハザードマップ大川小学校周辺の浸水範囲概況図この図の真ん中より下にある橋の右岸側の北東すぐのところに大川小学校があった。
2万5千分1 浸水範囲概況図 宮城県山谷撮影。
この動画の7秒付近に映っている鬱蒼とした針葉樹の弱い谷地形のところが、おそらく登れた獣道の斜面。
入口に桜が植えられていた(写真下)。ここを登っていれば・・・と思うけど、第三者の結果論にすぎない。

震災当日は、生徒たちは校庭に集まった後、17秒付近に映っている黄緑色の橋付近(新北上大橋)の堤防に歩いて向かっていたたきに津波にのまれたとされている。
当日のこの橋付近の映像が下記画像に残っている。
黄緑の橋(新北上大橋)。この橋よりさらに右手の方向に大川小学校があった。
映像の中でも、「学校大丈夫か!学校!」とさけぶ声が入っている。
この映像では橋の付近は水が来ていないが、流木等が見えるため、最大水位よりやや水位が下がり始めている時の映像かもしれない。ただし、北上川を逆流(右方向が下流だが、左方向に水流がある)している。
裏山は急斜面だし、記事にもあるように積雪や倒木があったとの話もあるが、もし津波が大川小学校に届くとの認識があれば、何が何でも裏山に登ったと思う。
ハザードマップにも浸水想定されてなかったし、昭和の津波でも河口から1km程度の浸水であったことを考えると危機意識を持つのは難しかったかもしれない。
しかしながら、助かった子供を迎えに来たご両親の中には、津波が来るからすぐに裏山に逃げてと言っていた人もいたわけで、実際他の学校での犠牲者は少なかったことを考えると、学校側の不手際を指摘する親の気持ちはよくわかる。
けれど、先生方も犠牲になっているわけだから(11人中9人死亡1人行方不明1名生存、校長は不在で生存)、本当に悲劇だと思う。
学校側の説明会のニュース映像。
平成24年5月4日に撮った写真。
こどもの日の前日。
現場にはバスが乗り付けていて、観光地といった感じであった。
桜の造花で飾られた碑。大川小学校は校庭にたくさんの桜があったらしい。

碑の下にあった震災前の写真。周辺に映っている多くの住宅もなくなっていた。

校舎は2階建て。屋上がなかったため、校庭に集まった。屋上があれば屋上に避難していたのではないかと言われているが、その場合安全だったかどうか不明。



卒業生が残した壁画。宮沢賢治を題材にしていた。


★一方で、釜石の奇跡として有名になったが、普段の訓練から、ほとんど子供たちの犠牲者が出なかった地域もあった。
釜石市は
群馬大学の片田敏孝教授が指導していた。
だから奇跡ではなく、成果だ!という人もいる。確かにそうだと思う。
奇跡としてしまうと、次につながらない気がする。
片田先生の津波避難の三原則
1.想定にとらわれるな
2.最善をつくせ
3.率先避難者たれ想定にとらわれるな、にはハザードマップを信じるなという先生の言葉がありました・・・
必見です。感動しました。。。前編・後編ともに見て欲しい。
これがホントの防災教育なのだろう。三原則の話もくわしくあります。
「釜石の奇跡」に学ぶ 出版や社員教育、世銀は途上国に情報発信へ釜石市のサイトより。
津波から身を守る知恵を持った子を育てる。